山に入る前に知っておけ:ハンターを脅かすマダニ感染症の全実態
致死率27%の感染症が、今や全国に広がっている。「自分はまだ刺されたことがない」——それは対策が万全だからではなく、運が良かっただけかもしれない。
管理者より
正直に言う。狩猟を始めた頃、マダニのことをそれほど深刻には考えていなかった。「刺されたら痒いし、気持ち悪いけど、病院に行けばいいか」程度の認識だった。しかしその後、周りのハンター仲間から「刺された後に高熱が出て入院した」という話を聞いたり、SFTSの致死率が27%前後という数字を改めて調べ直したりして、ぞっとした。これは笑い話ではない。マダニは、ヘビや熊よりも、実際にハンターの命に近い脅威かもしれない。この記事では、自分が仕入れてきた情報と経験を整理して、できるだけ正確に伝えたいと思う。
初めに
山に入るハンターにとって、マダニは「よく知られているが、意外と軽視されている」リスクの筆頭だ。わな猟では獣道の藪に踏み込み、解体時には動物の体表に手を触れる。その一つひとつの場面が、マダニ感染症との接触機会になっている。特に近年、SFTS(重症熱性血小板減少症候群)という致死率の高いウイルス感染症が全国的に拡大しており、2025年には従来の西日本中心から関東・北海道にまで感染地域が広がったことが確認されている。本記事では、狩猟に関わる人が知っておくべきダニ感染症の実態と、現場で実践できる対策をまとめる。
Pt1:そもそもマダニとは何か——家のダニとは別物だ
「ダニ」と聞くと、布団や畳に潜む目に見えないほど小さな虫を想像する人が多いが、マダニはまったく別の生き物だ。マダニは吸血前でも体長3〜4mm程度あり、吸血後は10〜15mmにまで膨らむ。その外皮は硬く、肉眼でしっかり確認できる。
生息地はシカ・イノシシ・野ウサギなどの野生動物が出没する環境——つまり、ハンターが毎回足を踏み入れる場所そのものだ。葉の裏や草の先端で「クエスティング」と呼ばれる待ち伏せ姿勢を取り、人や動物が触れると素早く乗り移って吸血部位を探す。刺されても痛みはほとんどなく、唾液に麻酔成分が含まれているため、気づかないまま数日間吸血され続けることもある。これが厄介なところだ。
マダニの活動期は春〜秋(3〜11月頃)がピークとされているが、気温が10℃以上になれば活動することが知られており、暖冬の年には冬季も注意が必要だ。ちょうど猟期(11月〜2月)と重なる時期があることも、ハンターが軽視してはならない理由の一つだ。
Pt2:ハンターが知るべき3つのダニ媒介感染症
マダニが媒介する感染症は複数あるが、ハンターが特に意識しておくべきものは以下の3つだ。それぞれ病原体・症状・治療薬が異なるため、一括りにして理解しようとすると誤解のもとになる。
| 感染症名 | 病原体 | 主な症状 | 治療薬 | 致死率 |
|---|---|---|---|---|
| SFTS | SFTSウイルス(フレボウイルス属) | 発熱・倦怠感・消化器症状・血小板減少。刺し口が出ない場合も多く発見が遅れやすい | 2024年6月にファビピラビルが世界初の治療薬として承認。それ以前は対症療法のみ | 約27%(高齢者ほど高い) |
| 日本紅斑熱 | リケッチア・ジャポニカ(細菌) | 発熱・発疹・刺し口(黒いかさぶた)。SFTSとよく似た症状で鑑別が必要 | テトラサイクリン系抗菌薬(早期投与で回復)。βラクタム系(ペニシリン等)は無効 | 治療が遅れると重症化。早期治療で予後は良好 |
| つつが虫病 | ツツガムシ病リケッチア(細菌) | 発熱・発疹・刺し口。日本紅斑熱とよく似ており臨床的に区別が難しい | テトラサイクリン系抗菌薬。第二選択薬にアジスロマイシン。ニューキノロン系は無効 | 早期治療で良好。治療遅延は重症化リスク |
SFTSが特に危険な理由
3つの中でも、ハンターが最も警戒すべきなのがSFTSだ。致死率が約27%という数字は、感染症の中でも際立って高い。さらに厄介なのは、2024年まで有効な抗ウイルス薬が存在せず、治療は対症療法のみだったという事実だ。2024年6月にファビピラビルが世界初の治療薬として日本で承認されたが、それでも重篤な病態の完全な制御には至っておらず、予防がいかに重要かを示している。
さらに見落とされがちな感染経路として、「野生動物の体液との接触」がある。シカやイノシシはSFTSウイルスに対する抗体陽性個体が確認されており、これは過去にマダニを介してSFTSウイルスに感染した個体が存在することを意味する。解体時に素手で動物の血液や体液に触れることは、直接的な感染リスクになりうる。
📋 実際の感染拡大状況(2025年最新)
国立健康危機管理研究機構によると、2025年7月31日時点でSFTSの国内累計報告数は1,185件に達している。従来は西日本を中心に分布していたが、2025年7月に神奈川県(関東)で、同8月には北海道・札幌市で初めて感染地域を推定とする患者が報告されており、感染リスクは全国に拡大している。また2024年3月には、国内で初めてヒトからヒトへの感染例も確認された(出典:国立健康危機管理研究機構、2025年9月)。
日本紅斑熱・つつが虫病で「間違った抗生物質」を使う危険
日本紅斑熱とつつが虫病は、どちらもマダニ・ダニ類に刺されて起きるリケッチア感染症で、症状がよく似ている。いずれもテトラサイクリン系抗菌薬が第一選択だが、絶対に覚えておかなければならない点がある。βラクタム系抗菌薬(ペニシリン、アモキシシリンなど、一般的によく使われる抗生物質)は日本紅斑熱には全く効かず、むしろ治療の遅延につながるという事実だ。病院を受診する際は、山に入ったこと・マダニに刺された可能性があることを必ず最初に医師に伝えてほしい。
Pt3:ハンターが特に注意すべき「感染タイミング」
一般的なマダニ対策の記事では「山に入ったらチェック」で終わることが多い。しかし狩猟の現場では、それ以上に具体的なリスク場面がある。自分が仲間のハンターと話して気づいたことも含めて整理した。
藪漕ぎとわな見回り——最も露出機会が多い場面
獣道の踏み分けやくくり罠の見回りでは、必然的に草丈の高い藪や低木の茂みを歩くことになる。マダニは草の先端で待ち伏せしており、人が触れた瞬間に乗り移る。長ズボンの裾を靴下の中に入れず、そのまま草むらを歩けば、足首から太もも、さらにはウエストまで侵入されることがある。
解体作業——見落とされがちな「接触感染」ルート
これは意外と語られないが、解体時に動物の体表や内臓に素手で触れることも、感染リスクになりうる。イノシシやシカの体表にはマダニが付着していることが多く、解体中に自分の皮膚に乗り移ることがある。また前述の通り、SFTSウイルス抗体陽性の野生動物が存在することから、血液・体液との直接接触も無視できない。解体時には使い捨てのゴム手袋を着用することが、現場でできる最低限の対策だ。
📝 私の経験
初めてイノシシの解体をした日のことは今でも鮮明に覚えている。先輩ハンターの指導のもとで作業したのだが、解体後に気づいたら手の甲に赤みが出ていた。マダニではなく擦り傷だったが、あのとき手袋をしていなかったことを、後から猛烈に後悔した。SFTSウイルスが動物の血液から感染しうることを知ったのは、実はその少し後のことだ。知る前に経験してしまっていた——その怖さは今も消えていない。それ以来、解体時の手袋は絶対に外さないようにしている。
止め刺し後の放置時間——死体にもマダニはいる
わな見回りで個体を発見してから、止め刺しを終えて解体に入るまでの間、獲物の体表に付着していたマダニは死んでいない。むしろ、宿主が死亡すると体温低下を感じ取ったマダニが体表から離れようとすることもある。止め刺し直後の獲物を素手で動かすことも、意外なリスクになる。
Pt4:現場で実践できる具体的な予防策
怖い話ばかりしても仕方がないので、実際に何をすれば良いかを整理する。特効薬のようなものはなく、地味な積み重ねが全てだ。ただその地味さが、命の差になる。
01
服装で肌の露出をなくす
長袖・長ズボン・帽子・手袋は基本装備。特に靴下の外側にズボンの裾を入れて、足首からの侵入をふさぐ。明るい色の服装の方がマダニに気づきやすい。
02
ディートまたはイカリジン配合の虫よけを使う
マダニに有効な忌避剤はディート(DEET)またはイカリジン配合のスプレーだ。衣服の外側、特に足首・裾・首回りに吹きかける。効果時間は商品により異なるので、長時間の入山では再塗布を忘れずに。
03
解体時は必ずゴム手袋を着用する
使い捨てのニトリルやラテックス手袋を常に装備に含める。動物の血液・体液・体表との接触を遮断することが目的で、解体作業の前に必ず着用し、作業後は丁寧に外して廃棄する。
04
帰宅後は必ず全身チェックと入浴を行う
山から戻ったらすぐに着替え、全身を鏡でチェックする。マダニが好む場所は首・脇の下・鼠径部・膝裏・耳の後ろなど、皮膚が薄く温かい場所だ。入浴は刺されたマダニの早期発見に有効で、できるだけ当日中に行う。
05
刺されていたら正しく除去し、必ず病院へ
マダニを発見したら、先の細いピンセットで口器付近を挟み、ゆっくり垂直に引き抜く。ワセリンや火を使う方法は逆効果で感染リスクが高まる。取り除いた後も、2週間以内に発熱などの症状が出れば迷わず受診し、「マダニに刺された可能性がある」と必ず伝える。
Pt5:現場でしかわからない、本当に大切なこと
ここからは、経験を積む中で見えてきた「マニュアルに書いていない話」だ。仲間のハンターからも積極的に情報を集めてきた部分でもある。
「刺されたことに気づかない」が最大のリスク
マダニに刺されると痛みがないため、山にいる間は全く気づかないことが多い。帰宅してシャワーを浴びたときに初めて「何か黒いものが付いている」と気づくパターンが最も多い。問題は、そこから何もしないまま放置してしまう人がいることだ。「取れたし、もう問題ない」と思っても、感染症の潜伏期間は刺されてから1〜2週間あることを忘れてはならない。刺された直後は無症状でも、2週間後に高熱が出る可能性がある。刺された日付と刺された場所を必ずメモしておくことを自分は習慣にしている。
「猟期は冬だから大丈夫」は危険な思い込み
狩猟の主な猟期は11月〜2月だ。「冬はマダニが活動しないだろう」と思い込んでいるハンターが意外と多い。しかし実際には、気温が10℃を超えれば活動するマダニは存在する。特に西日本の温暖な地域では、11月・12月でもマダニへの注意が必要だ。猟期が「安全期間」ではないという認識を、改めて持ち直してほしい。
ハンター仲間の認識格差が怖い
これは自分が感じている本音だが、ハンター仲間の中でもSFTSの危険性について正確に知っている人と、「なんとなく怖い病気」としか認識していない人との差が大きい。ベテランほど「今まで大丈夫だったから」という慣れが生まれやすく、むしろ若いハンターの方が情報感度が高いことがある。ハンター仲間と猟場に入る前に、こういった感染症の話を一度しておくことは、お互いの安全管理という意味でも非常に重要だ。
読者へ
あなたは山から帰るたびに、全身チェックをしているか。解体時に手袋をしているか。「今まで刺されたことがない」という人は、予防ができているのか、それとも気づいていないだけなのかを、一度真剣に考えてみてほしい。マダニ感染症は、「なってから」では遅い病気だ。予防は面倒でも、それが唯一の確実な守りになる。
まとめ:予防こそが唯一の武器だ
SFTSの国内感染者は累計1,185件を超え、致死率は約27%。日本紅斑熱やつつが虫病も全国で増加傾向にある。かつては「西日本の病気」とされていたSFTSが、今や関東・北海道まで広がりを見せている。これはもはや「自分には関係ない」で済む話ではない。
今日から変えられることが3つある。まず、解体時の使い捨て手袋を常備リストに加えること。次に、帰宅後の全身チェックと当日中の入浴を習慣にすること。そして、マダニに刺された可能性があるときに「様子を見る」ではなく、必ず医療機関に受診すること——特に受診時に「マダニの可能性がある」と伝えること。
山は自分にとって特別な場所だ。だからこそ、そこに入る準備と、帰ってきた後のケアを丁寧にしたいと思っている。知識は、臆病になるためにあるのではなく、恐れを正しく管理するためにある。
出典・参考資料
- 厚生労働省「重症熱性血小板減少症候群(SFTS)について」
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000169522.html - 国立健康危機管理研究機構「マダニ対策、今できること」(2025年8月6日改訂)
https://id-info.jihs.go.jp/infectious-diseases/tick-borne-diseases/tick-prevention/index.html - 国立健康危機管理研究機構「国内外における重症熱性血小板減少症候群(SFTS)の発生状況について」(2025年9月)
https://id-info.jihs.go.jp/surveillance/iasr/250918_JIHS-NIID_SFTS.pdf - 国立健康危機管理研究機構「感染症発生動向調査で届出られたSFTS症例の概要」(2025年1月31日更新)
https://id-info.jihs.go.jp/surveillance/idwr/article/sfts/020/index.html - 「SFTS診療の手引き2024年版」国立健康危機管理研究機構
https://dcc.jihs.go.jp/prevention/resource/2019SFTS.pdf - 厚生労働省「重症熱性血小板減少症候群(SFTS)に関するQ&A」
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/kenkou/kekkaku-kansenshou19/sfts_qa.html - 広島県「日本紅斑熱について」
https://www.pref.hiroshima.lg.jp/soshiki/25/hidsc-kansen-wadai-nihon-kouhannetu.html - 国立健康危機管理研究機構「つつが虫病の臨床的特徴と類似疾患との比較」
https://id-info.jihs.go.jp/niid/ja/typhi-m/iasr-reference/11427-510r09.html - 愛媛県感染症情報センター「重症熱性血小板減少症候群(SFTS)の発生状況」(2024年)
https://www.pref.ehime.jp/site/kanjyo/6819.html - MSDマニュアル プロフェッショナル版「マダニの除去」
https://www.msdmanuals.com/ja-jp/professional/

